何の観念も持たずに探求するがいい–。
それが仏陀のメッセージだ。
OSHO

曇り無き眼で
偽りの探求者とは、
まさに初めから何かを証明しようと懸命になる者のことだ。
「私は神を探し求めている」と言う者は、偽りの探求者だ。
「神は存在する」というひとつのことを、彼は受け容れた。
知りもしないのに?
知っているなら、なぜ探すのか?
知らないなら、どうやって神を探すことができよう?
憶えておきなさい、
これは生でもっとも重要なことのひとつだ。
もし固定観念、固定した態度で探求を始めたら、
あなたはかならずそれを見出す。
そうなったら悪循環だ。
それを見出すとあなたは考える、
「私が発見したんだから、もちろんそれはある」と。
そうなると、それはあなたの信念をさらに強化する。
何の観念も持たずに探求するがいい–。
それが仏陀のメッセージだ。
見るがいい、あなたの目をきれいに掃除して、見るがいい。
特に何かを探すのではなく、ただ見るのだ。
事物に、事物のあるがままの姿に、純粋に見入りなさい。
目は清く、純粋でなければならない、
さもなければそれは投映しかねない。
OSHO
曇りなき眼とは、観念なき観察、ジャマイカね。
すべての観念を手放そう☆
そのままで完璧な世界を、
そのまま観察しよう
そのまま探求しよう。