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【資料】退屈の向こう側へ【OSHO】

刃牙でいえば「毒が裏返る」わけか(笑)
たしかに禅というのは退屈を突き詰める感じがする。
(それが座禅を避けたくなる理由だなw)
退屈を歓迎して、むしろ求め、退屈の向こう側へ・・・

常に音楽を聴いているんだけど、ヘッドフォンがよく壊れる。
これはサインだったのかも。
「退屈から逃げるのをやめてみてみそ?」
そんなヒントだったのか。

暇だから寝ちゃおう!
というのも退屈から逃げるだけだったのか。
座禅修行から逃げる唯一の方法は寝ることだってw

逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ(ry

ふーむ、退屈をやってみよっと。

 

 

<退屈の先にあるもの>

退屈は、マインドが覚醒に近づいたときに起きる。

退屈するということは、
人生の生き方に関するむなしさや、
無意味さについて、
大いなる理解が生じつつある最初の兆しだ。 

退屈には2つのやり方で対応することができる。

 

退屈から逃げる

一つは人々が普通することである。

そこから逃げる、それを避ける、真正面から見ようとしない。

なたの心を占め、強迫的に夢中になれるものに逃げ込む。

それはあなたを生の現実から引き離し、
あなたは二度と退屈が湧きあがるのを見ることはない。

それこそが人々がアルコールや薬物を発明した理由だ。

 

しかし、あなたは本当には逃げられず、
しばらくの間、それを避けることができるだけだ。

あなたは、セックスに逃げ込むこともでき、
大食いしたり、音楽に逃げたりもできる。

あなたが逃げ込めるものは、無数にある。 

しかし、何度も何度も退屈はおそってくる。

それは避けることができない。

人間の成長の一部だ。

それに直面しなければならないのだ。

 

 

退屈になりきる


もう一つの反応は
正面から取り組み、

そのことについて瞑想し、
それと一緒にいて、
それになりきることだ。

ブッダが菩提樹の下で行ったことはそれだった。 

瞑想とは正確には何だろうか?

退屈に正面から向かうことが瞑想だ。

 

瞑想者は何をし続けているのだろうか?

黙って座り、自分のへそを見つめる、
あるいは呼吸を観察する、
彼はこうしたことを楽しんでいると思うかね?

彼はまったく退屈している!

禅のマスターが棒切れを持って歩き回っているのはそのためだ、
なぜならば、こうした退屈した人々は居眠りをしてしまうからだ。

他の逃げ道はない。

彼らは自分の意思で、禅の訓練の一部になったのだ。
彼らは逃げられない。

しかし、いつも一つ逃げ道がある。

眠ることができ、そしてあなたはすべてを忘れる。
だから、瞑想中に人は眠くなるのだ。

瞑想の努力はこれだけだ。

退屈しなさい、でもそこから逃げるなということだ。

眠ってしまったら、逃げたことになる。

注意を怠るな、それを観察せよ。

もしそれがそこにあれば、それはそこにある。

それをよく見なければいけない、その中心まで見るのだ。

 

もし、あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。

ある日、退屈の中を深く見ていると、突然に、あなたは自分自身の無の中を刺し貫く。

退屈を歓迎し、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。

禅寺では、毎日、同じ動作が何回も何回も続く。
一日中、決まり切った日程だ。
すべてが退屈を助長する。

もし、あなたが観察し、観察し続けると、
退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、
そしてピークに達する。

永久に続くものはない。
車輪が向きを変える時がやってくる。

もしあなたが極限まで行くと、最高地点まで行くと、
そのとき、変化、変容、覚醒、悟り、
何と呼んでもいいが、それが起きる。

 

ある日、突然、退屈があまりにも大きくなる。
あなたは息が詰まりそうになる。
それによってあなたはほとんど死にそうになる。
あなたはそれに圧倒される。

逃れる方法がないように思える。

退屈の強烈さと大きさが頂点に達したとき、車輪が反転する。

突然、退屈が消える、
そして、そこには悟りと三昧が現れる。
あなたは無の状態に入る。

そのとき、もう退屈はどこにもない。
あなたは生の究極の無を見たのだ。
あなたが消えたのだ、

誰が退屈するだろうか? 
何に退屈するだろうか? 
あなたはもう存在しない。
あなたは消滅している。

偉大なスピリチュアルな現象だ。

だから、野生の牛は退屈しないのだ。
彼らは完全に幸せで楽しんでいる。
人間だけが退屈する。

 

人間の中でも、とても才能があり、知的な人間だけが退屈する。

馬鹿な人々は退屈しない。彼らは完全に幸せで、
仕事をしたり、子供を育てたり、食べたり、映画に行ったり、
あれやこれやに参加したりしている。

彼らは退屈なんかしていない。
彼らは最低のタイプだ。

 

ブッダは完全に退屈していた。

女にも、酒にも、富にも、王国にもすべてに退屈していた。

彼はあまりにも世間に飽きてしまったので、世を捨てたのだ。

 

もし、あなたがインテリならば、世間は退屈だ。

もし、あなたが馬鹿であれば、そのまま続けられる。
その場合、世間は遊園地だ。

あなたはくだらないことに興味を持ち、繰り返し続け、
その繰り返しが見えるほど意識的でもない。

自分が昨日はこれをしていた、
そして今日もまた同じことをしている、

明日もまた同じことをすると思っているのを、あなたは分からないのだ。
あなたは本当に頭が悪いに違いない。

知性はどうやって退屈を避けることができるだろうか? 

それは不可能だ。

知性とは物事をありのままに見ることを意味している。

 

ブッダは退屈して世間から去った。

そして彼は森の中に6年間座って何をしていたのだろうか?

彼はもっと、もっと退屈していった。

森の中に座って、あなたは何ができる?

自分の息を観察しなさい、自分のおへそを見なさい、
朝から晩まで、年の初めから終わりまで。

彼は自分の退屈を究極のピークまで作り上げた。
すると、ある夜、それは消えた。
ひとりでに消えたのだった。

もし、あなたがピークに達すると、折り返しがやってくる。
必ずやってくる!

光があなたの存在に入り込む。
あなたは消え、光だけがとどまる。

あなたは喜びでいっぱいになる。

あなたはいない、しかし、理由などないのに歓びでいっぱいだ。

 

普通の人は何か理由があって、楽しむものだ。

新しい女性と恋に落ちて、彼は楽しくなる。

彼の歓びは瞬間的なものだ。

明日になれば、この女性に飽きてしまって、
他の女性を捜し始めるだろう。

普通の男は新しい車を買ったと言って喜ぶ。
明日になれば、彼は他の車を探し始めなければならないだろう。

それは次から次へと続く。
彼は決してものの本質を見ない。
いつも最後には退屈するのが分からないのだ。

 

どんな行動も退屈をもたらす。

頭の良い人はそれが分かっている。

だから人は退屈について瞑想しなければならない。

退屈から逃れる道はない。

それならば退屈の中に入ってゆきなさい。

それがどこに導いてくれるのか見なさい。

そして、あなたが退屈の中に入り込み続けると、

それが覚醒へと導いてゆく。 

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