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【チケット】認識の変更ってどゆこと?【中道】【自己観察】

「認識の変更」ってどういうことだろう?

仏陀とマーラの戦いを思い出した。

悪魔(思考)が次々と現れるけど、
それに気づいて、何もしない。
それだけで消えていく。
寂静にとどまる。

我らがマスター!

いろんな人の話を読んでみて、
みんな共通しているので
その中で
チケット板の自己観察さんがわかりやすいので、
整理するためにまとめます。

(間違ってたら修正していきまする・・・w 参考まで)

「認識の変更」を三行で

「思考」が「わたし」じゃない!

「わたし」は「思考を見ている意識」!

ということに「気づく」のが「目醒め」ること。

というふうに認識を変えること。
以上。

以下、もう少し詳しく↓(長い)

認識の変更とは?

認識の変更というのは、

今まで

「私が思考して行動してる」という思い込みが、
思考・行動している私がいないことに気づく、

不足の思考は幻だったってことです。


で、

実際は幻であるものを
「私の思考」だと思い込んでるから
思考に従ってしまうんですよね。

基本気づくだけ。

後は何もしません。

「何かしたい」

「どうかしたい」

は意識ではなく思考ですから
そこに気づくだけです。

とてもシンプルなので

「物足らない」

「これで本当にいいのか不安だ」

となっても
同じく気づくだけです

「既にある」は思考で辿り着けるものではなく
思考を超えたところにある「気づき」による理解です。

そしてこの世界は

分離(二元性)を前提としてる世界なので

「有と無」が1セット。

表裏一体です。

なのでたいていは
あなたが見ているものの裏面体験することになります。

「欲しい」(この世界にはある)けど、自分にはない、

というように。

1つの極に集中すればするほど
逆の極とのバランスをとるんです

ですので

中立にいることです。

「今ここ」

思考にとらわれない中立の場です。


この世界は表裏一体なので、
片方だけでは存在できません。


表ばかり見ようとすれば裏が現れるし、
裏を否定してなくそうとするなら表も存在できません。

それらの表裏に惑わされない、

つまり

思考に引き込まれないでいること
が「今ここ」という中立です。

自己観察

中立

気づいている意識として存在していると、

「欲しい」と思った

ということは、
既にそれに気づいている

(気づきがそこにピントを合わせている)

ということなので、
思考の二元性に行ったり来たりせずに、

あるがままにいれば現れてきます。

「既にある」ものを 見えなくしているのは 思考 です。


その思考と一体化していれば
表と裏を右往左往するしかありません。

自己観察

努力しない

「継続的に今にいよう」とするのは

自然に出来るならいいと思うんですが
どちらかというと

後からでも気づいたり、
ふとしたときに意識するというほうが

努力的な要素がなく
より純粋な「今」だと思います。

ですので

気づきの「維持」のほうではなく

「自覚」や「明晰さ」のほうを意識してみる
といいと思います

努力は分離を強化します

(分離=「する私」と「される対象」)

それより

気づいた瞬間が「今!」(一体)なので、

その一体であることの

自覚や明晰性が、
「今」から現れた

すべての物理的時間や出来事に

浸透、作用していきます。

自己観察

中道への4ステップ

マーラと遊ぶのは、それが幻とハッキリ認識してから☆

(チケット板より)

1. ニュートラルに「気づいてる意識」として在る。


  このときの目の前の壁とか空気とか部屋の明かりとか

       身体の感覚、それらを知覚してる感覚に気づく。

2. 欲しいもの、状況等に意識を向ける。


  それを知覚してるときの感覚、期待や不安、

       自分と離れた別の場所にあるように感じるとか
  もしかしたらそれとの一体感とか、それらの感覚に気づく。

3. 1と2の感覚がどんな風に違うのか気づく。


  好ましくない感覚があったとしても、

      それを消そうとかせずに、

      ただニュートラルに気づいている。



4. なんとなく知覚が変わったらおしまい。

      (変わらなくても適当に終える)

「いまここ」とは

呼び方はさまざま。

「いまここ」
=「中立の立場」
=「ニュートラル」
=「中道」by仏陀
=「別の領域」by108
=「ハイヤーセルフ」byスピ
=「宇宙意識」by並木
=「願望=実便」の領域
=「本当の自分」
=「大我」
=「真我」
=「大きな自分」
=「観察者」by津留
=「目撃者」by中野

そしてこの領域から仏、神へとつながっている。

「目醒め」るとは

「目醒め」
=「覚者」
=「さとり」
=「統合」
=「本質的な救われ」
=「解脱」

※「成仏」ではないかな~?
これもまだ「仮城」であることを仏教徒は知っているよね。
もっと高次元への旅は始まったばかり。


雑感

自分はあっちの領域はなんとなくイメージできてる程度なのかな?とおもいますので、本当の覚者さんの本やセミナーなどに行かれると確かだと思います。

ただ、思い返すと、昔からずっと「自分を観察」「自分を客観視」するのが趣味だったので、こういう話がとてもしっくりくるのかな、とは思いました。

一行でまとめると

「愛」っぽい事以外はずべて幻想

愛じゃない、不足とか不安とか、ぜんぶシカとでw

【参考文献】

「ザ・チケット」 by108 https://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/9789

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