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【資料】自分を知るだけで解脱できるなんて「解脱」津留晃一

求めると得られないというパラドックス。

悟るためには、欠点を直すんじゃなくて
欠点などないんだ、ということに気付くこと。

とりあえず、他人のことは優しい眼差しで見れそう(笑)


「解脱」津留晃一

 
解脱は、元々我々の足下、今ここにありました。
求め続けた悟りなるものは
どこにも求める必要などなかったことがわかりました。
今ここが自分にとって最善の場所であるということが
自分の信念の中心に座ったとき、
自我は沈静化してしまうものです。
この時あなたの自我は何も求めなくなります。
起こってくることを楽しむようになります。
今この時よりも最良の瞬間など、どこにもないことを確信できたとき、
あなたの心は安らぎ、涅槃の言葉の意味を知るでしょう。
今、癌を患っているあなたにとってもその事に変わりありません。
その瞬間は、あなたが求めることを放棄した時にのみやってきます。
この歓びの時を迎えるには、
あなたのエゴのギブアップ宣言がどうしても必要なのです。
「求めなくて悟れるはずなどないではないか」
そんな信念をお持ちのあなたにこそ申し上げたいのです。
ほんの少しの間その信念を脇に置いてこの先を読んでみて下さい。
求めようとする心こそが
あなたの悟りの道への
最大の障害となっている
という仮定のもとにこの先を読み進めてみて下さい。

 改めるべき欠点とは

私はあるとき問いかけました。
「私は地球人類のために貢献したいと決めています。
さらに効率よく人々に貢献するために、
今私の中のどんなところを変えればいいでしょうか
私はまだまだ自分が到らない人間であることを充分に知っています。
自分にはいくつかの欠点があるのではないかと思います。
でも残念ながら私は自分の改めるべき点に気付いていません。
変えるべき欠点があればどんなことでもお教え下さい。
ご指摘された問題点を必ず改めたいと思います。」
というものでした。
私はその時まで、人は誰でも改めるべき欠点を持っていて、
それを改めたときに人は悟るのだと考えていました。
しかし返ってきた答えはこうでした。
「あなたに改めるべき点など何もありません。
人に欠点というものは存在しません。
人にはそれぞれ異なった特質が備わっており、
その特質を役立てたとき人々はそれを長所と言い、
特質を活かしきれなかったときその現れ方を欠点と言います。
長所、短所は一つの特質の裏表です。
ですからあなたに改めるべき点など何もありません。」
「一つだけいうとするならば、あなたのその
改めなければならない点があるという考え方』だけです。」
と教えていただきました。
私はその言葉を素直にそのまま受け取り、
「ああそうか、私には変えるところなど何もないのだ。
 このままでいいのだ。
 何かを変えようなどとせず、
 単に人々に歓びを創造し続ければそれでいいのだ。」
と解りました。

自分を変えようとすると変わらないパラドックス

それから私は急激に変わり始めました。
今、自分の目の前にある事に夢中で係わっていると、
次々と自分の自我に気付いてくるのです。
本当に簡単なことでした。
あんなに自分を変えようと格闘していたことが
まるで嘘のようでした。
皆さんこの三次元世界はパラドックスの世界です。
変える必要などないのだと解ったとき変わりはじめ、
しなければならないことなど何もないと解ったとき、
最も行動的となります。
お金など必要ないとわかったとき、
あなたにお金が集まり始めます。
 
感情を押さえつければ押さえるほど
人はますます激情家となり、
感情を起きるにまかせて感じていると
だんだん穏やかになってきます。
 
このことが解ると人生は楽になります。
簡単になります。
起きてくることに逆らわなくなります。
この時あなたは自然界にとけ込みます。
誰からも邪魔にされず、
あなたの行う善行に対し、
誰も負担感を抱かなくなります。
 
今ここが完全であることを確信したとき、
そこにはもはや学ぶことがなくなり、
次なるステージへとシフトアップします。
 
 
それが次元上昇、アセンションのことです。
あなたが、まだダメだと思うとは、まだそこで学べるということです。
ですからあなたはそこにい続けることになります。
まだそこを楽しむことが出来るということです。
解脱したいとあなたは考えます。
しかし、解脱「したい」とは
「私はまだ今現在悟っていない」
という信念に基づいているということです。
その信念が、あなたが悟っていないという現実を生み出しています。
 
あなたのその考え方が・・・。
今だめなモノは永遠にだめ
ということです。
現実は今にしかないのですから。
「まだダメだ」とは、
「私は今悟っていない」という思いを
いつもいつも出し続けている
ということです。
今も、次の瞬間も、そして又その次の瞬間も、永遠に。

頭ではわかっているのに

「それは知っている。聞いたことがある。私も人にはそう言っているのだが。」
と人は言います。
「頭ではわかっているのに」とエゴがあなたの口を動かします
瞬間そんな思いがわき出してくるため、
それが自分の本性だと勘違いしています。
そうつぶやいているのはあなたの本性ではありません。
単にあなたの過去の記憶に反応しているだけです。
あなたのエゴの独り言は、自分の本質を知るチャンスを取り逃がします
 
「そのことは知っている」でもあなたはまだ悟っていない。
「そのことは知っている」とあなたが言うのは何故でしょうか。
 
そう発言することによってあなたに得られるモノがあります。
それは「自己満足」です、いえ「自我満足」というべきかもしれません。
人はちっぽけな自己満足と引き替えに大きな気づきの機会をのがします
「認めて欲しい」、
「馬鹿だと思われたくない」、
そんなささやかな我欲のためにです。
そのことに気づいてしまうと、もうあなたの自我さんは自己主張しなくなります。
ただ気づけばエゴは沈黙します、
「はずかしー」と。

 解脱すると、どうなるのか?

解脱とは、
自分を知ること、
自分を発見すること、
自分に気づくこと、
自分を取り戻すこと、
本来の自分自身へと帰ること
です。
そして多くの人々は、悟りを得た時の状態を錯覚しています。
見えないモノが見えるようになることであるとか、
聞こえない言葉が聞こえるようになるとか、
なにか奇跡が起こせるようになるとか、
そんな特殊な能力を身につける事だと勘違いしています。
このため人はそんな形を目指し求めます。
悟りの結果、あなたが至る状態とは、
「あなたが最もあなたらしくなる」ということです。
 
あなたが源から分離した瞬間本来のあり方に戻るということです。
あなたが今のあなたからかけ離れた別の状態に至るわけではありません。
今ソバを作っているとしたら、最高のソバの作り手となり、
今洋服を売っているあなたは、最高の洋服売りへと変わります。
地球人類の数だけユニークな状態へと至ります。
 
あなたの本質が自己発揮を始め、活力にあふれる社会となります。
今この瞬間にある源のエネルギーが全て創造に使われるということです。
 
自分を責めるのに使っていたエネルギーを、
他人を排撃するために使っていたそのエネルギーを、
我慢に消費していたエネルギーを、
葛藤に浪費していた無意味なエネルギーを、
自己満足を得るために使ったエネルギーを、
他人にどう思われるだろうかに費やしていた余分なエネルギーを、
俺はまだだと嘆きに使っていたエネルギーを、
家族の心配にすり減らしていたエネルギーを、
 
全て歓びと美しさの創造へと変えるのです。

そのままの自分を無条件に抱きしめる

「でも、私は昨日もある人に腹を立ててしまいました。やはり私はまだまだです。」
と人はなかなか自分を認めようとしません。
腹を立てて、そのままであなたは完全です。
そのままの自分を無条件に、愛おしく抱きとめ愛して下さい。
自分を愛するのにどんな条件も不要です。
それがあなたの源の愛、無条件の愛のことです。
自分の全ての部分を、そのままありのまま愛せるようになったとき、
初めて他人のどんな欠点もそのまま愛せるようになってきます。
あなたを怒鳴りつけるあなたの上司もそこに入ります。
こう言うと、又あなたの自信をぐらつかせますね。でも安心して下さい。
あなたが一番嫌っている自分の欠点と考えているところを、
まるごと分離させることなく、
そのまま愛せるようになった時
あなたを怒鳴りつける人は消えてしまいますから・・・。

隠された『自分を否定する感情」を見つける

あなたを怒鳴るその人は、
あなたの中に潜んでいるあなたがまだ認めていない部分
あなたに見せようとして現れています。
 
自分を否定している何らかの考え方が隠されている」
その事の証拠として、
あなたの外に表現されているにすぎません。
あなたがただ
今のまま、そのままの自分を認め、受け入れ、無条件に愛せた時、
そこが解脱です。
そうは言っても、
自分には混乱した気分がまだ残っていると感じているとしたら、
まだまだあなたが観るべき、認めるべきあなたの否定的な部分
隠されているのでしょう。
そんなとき、
わいてきた否定的感情を認め、
そんな自分を許せばいいのだと、深く心に決心したとき、
あなたはその否定的想念に力を与えなくなり
あなたが力を与えない限り、
あなたの自我はどこからもその活動のエネルギーを受けられず、
やがて力を無くし溶けていきます

 理由はあなたの考え方の中にある

「自分を知るだけで解脱できるなんて、そんな馬鹿な」
という思いがわいてきたとしたら、
それが自我のつぶやきである事に気づいて下さい。
ただ内側を探して下さい、
丹念に自分の考え方を、
自分の信念を、
自分が反発する言葉を、
自分が正しいとする概念を、
自分がおかしいとする概念を。
全てがあなたの今という環境、状況の中に現れていますから。
他人の語る一言一言に反応している自我を眺めて下さい。
「人から悪い波動を受けてしまった、どうもあの人は苦手だ。」
その人を避けている自分に気づいて下さい。
あなたはその不愉快な波動を受けた方がいいから、その不快波動を拾っています。
 
「もう二度とあの人には近づきたくない」とあなたは思います。
でも安心して下さい、
受ける理由はあなたの考え方の中にあり、
その考え方に気づきさえすれば、
それで解決してしまいます。

 このままで何も問題なし。なにをしてもいい。

他人には何も問題がないのだということを揺るがせないことです。
「このままで何も問題なし」
何を見てもどんな時も、
「これで良し、何も問題なし」
と豊かなおおらかな気持ちで眺められるようになったとき、
あらゆる問題は氷解しています。
「このままではダメだ」と思っているかぎり、
正に、今そこがあなたのいるべき場所であるといえるでしょう。
その思いが次々と足らざる問題を探します。
無限に問題が現れてきます
 
「何もしなくて良い」そして「何をしても良い」と聞くと、
では人殺しをしても良いのか、
そんなことはないだろうと反論がわいてきます。
そんないつもの自分の反射的思考パターンを知って下さい。
でも人に迷惑を掛けてはいけないじゃないか、と反射的に思考します。
そんな条件反射的思考は何を原因として起こるのか、自分を眺めるチャンスです。
己の自我の発見のチャンスです。
あなたは他人に迷惑を掛けることが出来ると確信しています。
そしてそれを恐れています
他人に掛ける迷惑とは何でしょうか?
「こうしたらあの人はこう思うだろう」とあなたは考えます。
それはあなたの考え方です。
多くの場合、他人は必ずしもあなたと同じようには考えません。
「こう思われたらどうしよう、そう思われたくない」と、
あなたの思いがあなたの行動にブレーキをかけています。
ほとんどの場合、あなたは自分を満足させたいのです。
あなたを縛っているのはこう思われたくないというあなたの思いです。

自分の何かを変えようとしないで下さい

あなたが、「我が・まま」をした場合、本当に社会は困るのでしょうか
ここを疑ってみてはどうでしょうか。
親の意見をそのまま受け入れているだけではないでしょうか。
親の都合を受け入れさせられているだけではないでしょうか。
社会の規範をそのまま受容しているだけではないでしょうか。
社会との摩擦を恐れるために、
あなたはどれほど多くのエネルギーを消耗していると思いますか。
神が宇宙に遍在するとすれば、神のいないところはないという事です。
人が人を傷つけることなど不可能なことであると伝えられました。
あなたを傷つけることが出来るのはあなただけです。
それ以外にはありません。
起きることに身をまかせ、逆らわず、
淡々と自分の思いを観察し続けて下さい。
それだけでいいのです。
そんな時、自分の何かを変えようとしないで下さい。
ましてや人を変えようとしてはなりません。
今を生きて下さい。
イライラした時があるならばそのままイライラの中にいて下さい。
自分を使おうとしないことです。
安心して何も考えず、何も求めず、逆らわず。
流れに乗り切ったとき、
キリスト意識があなたに変わって働き始めます。
 
解脱の瞬間です。

http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/sub3.htm