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【資料】愛は惜しみなく”思い出せ”「無条件の愛」【津留晃一】

思春期の十代のころ、自分の恋心の移ろいやすさに唖然としました。

ものすごく好きになったり
振られたらものすごく落ち込んだり
それなのに、意外にあっさり気持ちが復活してきたり。

恋心に理屈が見つからず、「恋は風邪だ」と言っていましたねw

そして恋はすごいパワーがあるなと。
引っ込み思案な自分も、それまでと違った行動を興せるパワー。

そのパワーを使って「愛」を探すのが人間なのかなと考えました。

近くとも遠からず、
恋という「条件付きの愛」は
自分の奥に眠る「無条件の愛」を
呼び起こすためにあったようです。

あ~、高校生のときに読みたかった~!


「無条件の愛」津留晃一

無条件の愛

「無条件の愛」この言葉ほど私の魂をふるわせる言葉はありません。
神は光であると伝えられました。
しかし私にとってそれは単なる説明でしかありませんでした。
そこに感動がなかったからです。
しかし神とは「無条件の愛」であると伝えられたときには、
これこそ我が目指すゴールであると感じました。

まずは恋から

人はこのいただきを目指します。
そして恋を体験します。
恋人は人を感情のピークへと誘います。
魂の昂揚感を感じ愛の素晴らしさを体感します。
ところが感情のピークは引波のごとく必ず冷めていくという過程をたどります。
愛に終わりがあるとは一体どういうことでしょうか?
愛は永遠であるはずなのに、
冷めて行くかに見える愛とは一体なんなのでしょうか。
ときめきを感じなくなった恋人を見て、
飽きてしまったのだろうか、
これが倦怠期なのだろうかと思います。
このことを悟ることが、今回の私の生の
大きなテーマの一つであったように感じます。
「無条件の愛」を感得するための、
必ず通らねばならない関門でしょう。

条件付きの愛

恋人の出現によって感じる愛とは、
条件付きの愛だということです。
その愛は恋人がいなくなったら消えるわけですから・・・。
他人に出逢い、愛することにより
自分の内面にあった深い愛に初めてふれ、
自分の大いなる愛に気付きます。
人を愛するたびに感じる
自分の奥深くに眠る大いなる豊かな愛情を、
やがては誰がいなくても感じる事が
出来るようになってきます。
プレゼントをくれたから好きになるとか、
偉い人だから興味があるとか、
何かが出来たら評価が上がるとか、
条件付きの愛とはまさに三次元の愛です。

必ず反対に揺れ動く

この二極の世界では必ずその反対もあります。
何かを貰って好きになった人は
貰えなくなったとき嫌いになります。
上がったり下がったり、揺れ動く二極世界では
必ずやがて反対の極を迎え、
好きになったり嫌いになったり
あなたの感情も揺れ動きます。

思い出すために他人は存在する

誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。
「無条件の愛」とは、もともとあなたそのものであり、
そのことに恋人は必要ありません。
愛そのもののあなたが、愛を感じるのに他人は必要ない
のです。
そのことを思い出させるために、
そのことに気付くために
他人が存在しているだけです。
他人とは内なる巨大な愛を取り戻すきっかけ
でしかありません。
このことを思い出すのが人生ゲームです。
このことを思い出し、
あなたが「無条件の愛」そのものとして生きたとき、
あなたにはもはや肉体は必要ないかもしれません・・・。

せっかくだから遊びつくそう

いや、私にはとてもそんな生き方は出来ない
と嘆く必要もありません。
もともとそうであるあなたは、
今は単にゲームの途中であり、
難解なゲームにチャレンジ中なのですから、
高度肉体ゲームを
そんなに焦って終わらせる必要もないでしょう。
せっかく入った地球というゲームセンターです。
何も急いで出る必要はないでしょう。
子供のように、遊び疲れるまで遊べばいいのです。

内側にあることを気づくために

他人がいて愛に気付きます。
元々内側にあった愛に、他人を反映して気付きます。
冷めてきた愛の昂揚感を再び体験したいと、
今度は別の人に新たなときめきを求めます。
この人こそ絶対であると思った人との愛も
やがては必ず冷めてきます。
愛はあなたの外側にあるわけではないのですから。
あなたが感じる愛の悦びは、
他人が外から運び込むものではなく、
あなたの選択によって、
あなた自らがその内側から引き出しているのだ
気付くまであなたのゲームは続くわけです。

過程をそのまま味わう

もともと愛そのものであるあなたは、
これからも無条件の愛そのものでないときはありません。
ただ忘れているだけです。
あなたは今そのままで完全です。
倦怠期を、進化のための一つの通過点である
と理解していると、そんな時期でさえ
ワクワク感を持って受けとめることができ、
次に起こる現象がただ待ちどおしくなってきます。

条件のない愛へと進化する

初めは会っているときだけ嬉しく、
離れているときはもう心が寂しく疼きます。
しかしやがてピークを過ぎてくると、
彼女がそばにいなければ喜べなかった心が、
彼女がどこにいても嬉しいといった
広い心へと変わってきます。
喜ぶために必要であった条件が消えてくるわけです。
すなわち条件のない愛へと進化するわけです。

勝手に妄想しはじめる

なのに人は、それを愛が減ってきたと解釈します。
彼はこの頃冷たくなった
他に好きな人が出来たかも知れないと妄想が始まります。
こうして人は自ら与えた意味付けにより、
自らを混乱へとおとしいれていきます。
そしてなかなかこのパラドックスに気付けません。
そんな反応がいつしか深く意識下に沈み込み、
もはや無意識で無条件に反応しており、
そこに自分の意味付けの選択があったことさえ
忘れ去っています。

ただ、起きてくることを観察する

毎日電話をくれていた彼の電話が
三日に一度になったとしても、
そのことに意味を与えず
ただ気付いていればいいのです。
人間の本質は観察する者であり、
行為する者ではないのですから・・・。
昨日も、一昨日もかかってきた電話より、
突然の電話の方が喜びは大きいはずです。
ただ単に起きてくることに気付いているようにすれば、
深い悦び感情のピークのところにだけあるわけではなく、
どこの位置も悦びであったことに気付きます。
そして状況(外界)からの操り人形であった心が、
やがて創造者として現実を創る位置へとシフトするのです。
そんなあなたはもはや自由自在です。
ピーク(山や谷)ではなく、
ニュートラルなところが悟りの頂きです。
これに気付いた人はもはや
心が上がったり下がったりせず、
いつも同じ心の位置でいられるようになります。
そこが涅槃の位置です。

親が制限し条件をつける

人は母親の無条件の愛から生まれます。
母親は生まれでる我が子に、条件は付けません。
ただどんな子が産まれるか、
生まれでることだけを祝福しています。
そして生まれた我が子を無条件に受け入れます。
どんなに醜くとも、心からその誕生を喜びます。
しかし、やがて制限された母親の意識が、
肉体に限定された知恵を授けます。
無である子供は無条件にその制限された智恵を受け取り、
子供の限定意識ができあがります。
肉体人間の完成です。
そしてあなたのエゴが、無条件の愛に目覚めるゲームが開始されました。
「無条件の愛」、これほど心地よい響きはありません。
なのに人はどうして愛に条件を付けてしまうのでしょうか?
自分を制限された、限定された存在として認識している人にとって、この無条件の愛という言葉は、ほど遠いものであるかも知れません。
あなたは無限です
このことを信じることがチャレンジです。
たしかにやさしいことではありません。
しかし難しいからこそこの旅が価値に満ちたものとなる
のではないでしょうか。

気づくために異性がある

我々の求めるべきものは異性ではありません。
真に求めるべきものは我々の源であります。
それに気付くために異性があるようです。
内なる異性を統合し、
大いなる我を求める時、
無条件の愛を思い出します。
内なる無条件の愛に触れたとき、
人は無条件に今ある現実を受け入れるようになります。
今、このままが最もいいことが解ります。
聞くこと、見ること、感じることの全てが、
良きことのみであったことに気付きます。

リラックスして楽しもう

そんなあなたにどんな問題もあろうはずがありません。
リラックスし、
起きてくることを
起きて来るままに楽しみます。
人や現実を操作しようという気持が起きなくなります。
委ねきります。
逆説的のように聞こえますが、
この時あなたは
進化の最短距離をたどり、
昇り始めます。

http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/sub3.htm