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【資料】10種類の幻想【神とひとつになること】

3次元は幻想であるらしい。
いろんな人がそういってますね。

「神とひとつになること」がすごかったので参考資料としてメモ。
キリスト教系の神の言葉のようです。

「幻想」がなぜ生まれ、どう作用してきたのか。
本当の「リアル」とは何か。
幻想が生まれた流れをすっきり整理してます。

仏教徒でも前半は興味深いと思います。

この三次元空間、娑婆世界、物質界、での「現実」と思ってることは幻想だと。
幻想を幻想と気付いてないのが苦の原因だということ。
色即是空。色は即これ空。

幻想の「活用方法」もありますので今後メモります。

ヒントが盛りだくさん。

大切なのは、『私たちはすべて一体である』というメッセージだ

新しいミレニアムの始まりにあたって、私は一つの声であなた方に語る。

あなた方が一つになれるように。

神と一つになれば、平和と喜び、完璧な愛、完全な自由を知るだろう。

そして、ついに『真の自分』を体験するだろう。

神と一つになるには、行動はいらない。

神と一体であると知って、それを認めればいい。

私を認めれば、あなたは人生に私を導入することになる。

それが、天国への切符である。

『私たちはすべて一体である』

大切なのは、このメッセージだけだ。

他の重要なメッセージは全て、このメッセージの反映にすぎない。

「私たちは一体ではない」という考え方は、幻想だ。

(『神とひとつになること』から抜粋)

この本は、「幻想を思い出して、もう一度神と一体になる」ための本だ

あなた方は長い間、幻想を抱いて生きてきた。

それは愚かだからではなく、非常に賢いからだ。

あなた方は、幻想には重要な目的がある事を、直感的に理解していた。

ただ、それを忘れている。

もう「それは幻想だ」と、思い出す時だ。

あなたは、思い出すプロセスの先頭に立つだろう。

あなたがこの本へとやってきたのは、幻想を思い出して、

幻想に囚われずにもう一度神との一体化を達成するためである。

あなたは、自分の内側に神が存在する事を知るために、

周りのあらゆる所で神を見い出すために、ここへ来た。

10種類の幻想は、地球上の人類史のごく初期に、あなた方が創り出した。


そして、この幻想に合った『文化的な物語』を創り、幻想を現実化している。

これらの幻想は、あなた方が創り出した世界では、現実のように見える。
だが、本当の現実ではない。

あなた方が10の幻想から創り出した『文化的な物語』とは、このようなものだ。

  1. 神には、決まった予定がある (必要性が存在する)
  2. 人生の結果は疑わしい (失敗が存在する)
  3. 人間は、神と離ればなれになっている (分裂が存在する)
  4. すべては、充分にはない (不足が存在する)
  5. 人生には、しなければならない事がある (課題が存在する)
  6. しなければならない事をしないと、罰を受ける (裁きが存在する)
  7. 罰を受ければ、永遠に苦しむ (罪の宣告が存在する)
  8. 愛には、条件がある (条件が存在する)
  9. 条件を知って満たすことが、人よりも優れる事だ (優越が存在する)
  10. 1~9は、幻想ではなく現実である (無知が存在する)

あなた方は、この文化的な物語の中で生き、

「そういうものなんだ」とお互いに言い合う。

それを、何千年も続けてきた。

やがて、この物語の周りに、さらに神話が生まれた。

例えば、こんな神話だ。

「適者生存」 

「人間は原罪を負って生まれてきた」

「罪の報いは死である」

「無知は美徳だ」 

「神だけが知っている」

これらの神話のすべてを信じていなくても、一部は信じている。

信じているのは、誰かに「それが真実だ」と聞かされたからだ。

幻想を検討していけば、幻想がそれぞれ

『一つ前の幻想を基に成立している』ことが理解できる。

実は、どの幻想も「第1の幻想の変形」に過ぎないし、

ゆがみは後の幻想になるほど、どんどん増幅している。

それぞれの幻想は、一つ前の幻想の欠陥を繕うために生まれた。

最後には欠陥を繕うのにウンザリして、もう理解できないと諦めた。

だから、『無知が存在する』という幻想が最後なのだ。

この幻想により、「仕方がないさ」と肩をすくめていればよくなった。

だが、あなた方は無知が恵みではない場所にまで、進化して到達した。

あなた方は今、真実を見抜こうとしている。

「必要性」という、第1の幻想

この幻想は、最初の幻想というだけではなく、「最大の幻想」でもある。

この幻想の上に、他の全ての幻想が成り立っている

神・宇宙には、必要性は存在しない。

何かが必要になるのは、特定の結果を求める時だけだ。

神・宇宙は、それ自体が結果であり、特定の結果を求めはしない。

神は『存在するすべて』であり、神でないものはない

神・宇宙は、今起こっていること以外の何も必要とはしない。

あなた方は、「生き延びるためには、何かが必要だ」

という体験から、『必要性』という考え方を生み出した。

だが、あなた方の本質(魂)は不死だ。

あなた方は、生きられずにはいられない。

あなた方が生き延びるために必要なものは、何もない。 

生存は保証されている。

私は永遠の生命を与えたし、それを取り上げる事は決してしない。

だから、生き延びるかどうかではなく、「どう生きるか」が問題なのだ。

あなた方は、「生き延びることと幸せとは別だ」と言うかもしれない。

そして、「幸せに生きるためには、何かが必要だ」と想像するかもしれない。

だが、幸福とは『心の在り方』であり、ある条件の結果として生まれるものではない

存在(在り方)が経験を生み出すのであり、経験が在り方を生み出すのではない。

神は幸福だし、神を不幸にすることは何もない。

あなた方がこの様な神を想像できないのは、そんな人間を想像できないからだ。

自分もそんな風に生きられると分かれば、神についてすべてが分かるだろう。

地球人の歴史の初期には、人間の唯一の望みは「不幸や苦しみを避ける」ことだった。

そのために、快楽を中心に生きる戦略が組み立てられ、

快楽へと近づき苦痛から遠ざかった。

初期の人間は、「幸せになるには、何かが必要だ」と考え

「神も何かを必要としている」と考えた。

初期の人間は、自分達にはどうしようもない出来事(災害など)が起こった時に、

それを説明するために「神が何かを必要としており、要求をしている」と考えたのだ。

神が全能ならば、何かを必要とするのは矛盾している

だが彼らには、それが分からなかった。

今でも、分からない人が大勢いる。

何かに左右される神(何かを必要とする神)を考え出した人間は、

「神には決まった予定がある」という物語を創った。

そして、「神の意志はいずれ実現する」と結論づけた。

あなた方は、「神には意志があり、それを人間に強制する」と考えたので、

神の意志とは何かを探ろうとした。

ところが、神の意志については、どうしても意見が一致しなかった。

そこで賢い者が、「そのために、物事が上手くいく者と上手くいかない者がいるのだ」という理屈を考え出した。

すると、新たな疑問が生まれた。

「神が全能ならば、神の意志がただちに実現しないはずはないではないか?」

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、

「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として活用すれば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、

「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第1の幻想の欠陥を繕うために、『失敗』という第2の幻想が生まれた。

「失敗」という、第2の幻想

「神は何かを必要としており、神の意志はいずれ実現する」という考えは、

『神は全能である』という知識と矛盾したが、あなた方はその考えにこだわった。

この考えは、「神も失敗するのかもしれない」という幻想につながった。

この幻想は相当に無理があったが、人間の豊かな想像力は不可能を可能にしてしまった。

あなた方は、第1の幻想と同様に、神の資質を自分の経験を基にして推定した。

「自分達は幸せになるために必要なものを、すべて得ることはできないのだから、神だって同じだろう」と思ったのだ。

こうして、『失敗が存在する』という幻想が生まれた。

そしてこの幻想から、「人生の結果は疑わしい」という『文化的な物語』を創り上げた。

ここにおいて、あなた方は最初の『不安』にぶつかった。

これまでは、あなた方に不安は無かった。

神は全能であり、この世界はなるべき様になっていた

この幻想にも、相当に無理があった。

神と人間が一体ならば、どうして人生の結果は疑わしいはずがあろう?

明らかに、この幻想には欠陥があった。だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、

「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、

「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第2の幻想の欠陥を繕うために、『分裂』という第3の幻想が生まれた。

「分裂」という、第3の幻想

「神と人間が一体ならば、どうして人生に失敗があるのだろう?」

と、あなた方は疑問を持った。

この「失敗という幻想から生まれる謎」から逃れる唯一の方法は、

『第3の幻想』を創り出すことだった。

「神と人間は一体ではない」という幻想だ。

これが、『分裂』という幻想である。

あなた方は、

「人間と神が離ればなれなら、人間は神の望まない事をするかもしれない。

 もしそうなら、神の意志がくじかれる事(神が失敗する事)もあり得る。」

と考えた。

最初の三つの幻想(必要性・失敗・分裂)が、一番重要だ。

この三つが、残りの幻想を支えている。

だから、この三つの幻想を説明しようとして、様々な『文化的な物語』が創られた。

最も有名な文化的な物語は、アダムとイヴの物語だろう。

こうした物語から、『神と悪魔の争い』が創られた。

このような文化的な物語は全て、

「神は結局は全能ではない、あるいは力があっても使おうとしない」と言う。

さらに、「神の好まない事をすれば、悪魔に引き渡されて地獄に送られる」と言う。

こうした物語は、繰り返し繰り返し語られて、新しい世代に引き継がれていった。

そして、歴史に深く刻みこまれた。

「分裂が存在する」という考え方は、あらゆる幻想の中でも人間に最も影響を及ぼした。

現在の地球上では、ほとんどの人が『分裂の幻想』を真実だと思い込んでいる。

お互いに離ればなれだと感じている。

神から離れていると信じているから、

神との触れ合いが困難になり、

神を恐れたり神を否定したりする。

そして、「人生はコントロール出来ない」と信じて、そんな生き方に身をゆだねる。

さらには、「人生に耐え忍んでいれば、死後に天国に行き報われる」と考える。

お互いが離ればなれだと思っているから、自分にはとてもできない事を他人にする

「他人にする事は、自分にしている事だ」というのが分からないから、

好ましくない結果を起こし続けている。

だが最近は、暴力的な行動をする人は、ずっと少なくなった。これは進化の印だ。

しかし、あなた方の社会は

「行動を変える」よりも、「行動を罰する」ほうへ向かっている。

罰すれば矯正できる、と考えている。

冷静に分析すれば、

『社会の在り方を変えなければ、何も矯正できない』と分かるはずだ。

それなのに、そういう証拠を無視して、

殺人によって殺人を怒りによって怒りを終わらせようとしている。

最初の三つの幻想を、幻想だと見抜ければ、

『すべては一つであること』を否定しなくなり、

あらゆる生命を破壊しようとしなくなるだろう。

多くの人達は、自分と世界との繋がりが見えていない。

そのために、大気を汚染しても、「全体には何の影響もない」と思っている。

さらに、煙草を吸い、肉食をし、アルコールを摂取しても、「全体には何の影響もない」と思っている。

彼らは「一人ひとりの行動が、全体に影響を及ぼすはずがない」と言う。

ところが、「ばらばらな自分勝手な行動」が、地球全体に悪影響を及ぼしている

あなた方はだんだんと、そこに気付くようになった。

あなた方は、「なぜ、ばらばらだと上手くいかないのだろう?」

という疑問を抱き始めている。

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、

「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第3の幻想の欠陥を繕うために、『不足』という第4の幻想が生まれた。

「分裂」という、第3の幻想の目的

あなた方が、『分裂という幻想』を創り出した本当の目的は、

「一つである」という体験をするためだ。

全体の一部でいる間(存在するすべてと一体でいる間)は、

(個別化した)自分を体験できない。

『本当の自分』を体験するためには、

『存在するすべて(神の源)』と分離しなければならない。

分離は、『究極の現実(全てが一体として存在する、絶対の世界)』の中では出来ないから、想像を通じてするしかない。

私たちは、多様なかたちをとることで、唯一の現実(全ては一体であるという真実)の輝かしさに気付き、それを体験できる。

これが、『相対性(あなた方のいる宇宙)』の目的だ。

「不足」という、第4の幻想

この幻想は、第3の幻想(分裂の幻想)から生まれる。

分裂という幻想がなければ、不足という幻想は支えられない。

「すべてが一つ」で一体ならば、どのような不足も存在し得ないからだ。

分裂の幻想は、「充分ではない(不足している)」という考えにつながる。

あなた方は、「神と自分は離ればなれだ」と想像をし、

自分を神(あらゆる生命)から切り離した。

この自分自身からの分離こそ「エデンの園からの追放」と呼ばれるものだ。

(あなたは神だから、神から離れれば自分から離れる事になる)、

この「自分(=神)からの分離」によって、

永遠の生命があるのに、(想像上の)死が出現する。

ありあまる豊かさがあるのに、(想像上の)不足が出現する。

『不足という幻想』に囚われると、

自分があらゆる生命と競い合っているように見えてくる。

そして、

あなたを支えている生命(大自然)を、コントロールしようとする

あなた方は、永遠で限りなく豊かで、すべてと一体の存在だ。

それなのに、その事を思い出さない。

それゆえに、もっと豊かさを得ようとして、生命を抑えつけようとする

あなた方は、

「この世界には、充分な生命がないのではないか」と心配をし、

その不安から『死』を想像した。

自分たちがばらばらだと想像するまでは、

神(生命)が永遠ではないなどとは、思いもしなかったのにだ。

死は、不足という幻想の最高レベルの働きだ。

生命が充分でなくなると、あなた方は「生き延びるために必要な事は何か」を考え始めた。そして、「生き延びること」が本能だと認識されて、

セックスまでもを「種としての生存を確保する行為」とした。

あなた方は、『セックスは愛の表現だ』という真実を見失った。

生命は永遠だが、あなた方はそれを思い出さずに、

「生命をめぐって競い合う事が多いのだから、生命は充分ではない」と考えた。

限りがあると思うから、それをめぐって競い合い、地球と自分自身を滅ぼしかけている

あなた方は、生命は充分ではないと思うがゆえに、

生命を創造する神までが充分ではないと思った。

これは、「神には限りがある」という信念にまとめられる。

「神には限りがある」と思うから、

神をめぐって競い合い、時には一つの文明を絶滅させようとさえする。

あなた方の宗教は、この事実を認めない。

特に神学は傲慢で、すべての答えを知っているふりをして、疑いを許さない。

「充分ではない」という考え方(幻想)は、競争につながるだけではなく、弾圧・抑圧・沈滞を引き起こす。

「充分に存在する」と思えば、争いもいさかいも無くなる

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、

「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第4の幻想の欠陥を繕うために、『課題』という第5の幻想が生まれた。

「課題」という、第5の幻想

あなた方は、すべては充分ではない(不足している)と思い込んだ。

(不足という第4の幻想)

そして、

「どうすれば充分に手に入れられるだろう? 

   誰にその資格があるのだろう?」

という疑問にぶつかった。あなた方は、

「充分ではないものを手に入れるには、何かをしなければならない」

と考えて、それが『課題』というものだと想像をした。

これが、『課題』という幻想である。

あなた方は、「必要な事をすれば、自分が望むようになる」と信じている。

「必要なものを充分に手に入れられないと、幸福になれず、愛されもしない。

 手に入れるには、課題を果たして資格を獲得しなければならない。」

と信じている。

そう信じたために、あなた方は

「行為」というものを、最高の位置に引き上げた

(本当は、意識・在り方・思考の方が、人生への影響力は大きい

課題という幻想も、「必要性」という第1の幻想に基づいている。

本当は、幻想は一つしかなく、他の幻想はすべて言い換えに過ぎない。

すべての幻想は、「必要性が存在する」という幻想の別バージョンだ。

幻想を一つ一つ調べてみれば、『それぞれの幻想は、前の幻想の派生物』だと分かる。

「課題が存在する」という信念の採用は、人類にとって大きな決断だった。

この決断のために、様々なルール・指針・法などが出来て、それを守らなければならなくなった

あなた方は、神を喜ばせて天国に入るための課題を、色々と考え出した。

そして、

「これが課題であり、しなければならない事だ。しっかりと理解しなさい。」と言い、

「この課題は、神が決めたのだ」と主張する。

あなた方は、神の名を持ち出して、自分の言い分を正当化しようとする。

「神の名において正当化できれば、欲しいものを手に入れる資格ができる」

と考えているからだ。

このような考え方をして、

欲しいものを獲得するためにする、殺人などのあらゆる行為を、正当化してきた。

それを、「聖戦」とさえ呼んだ。

あなた方は、神の名において、最も神らしからぬ行為を行ってきた。

それはすべて、「課題を神が決めた(課題が存在する)」と考えたからだ。

「しなければならない事がある」と信じている間は、

それが何なのかを知ろうとし、

次にそれを達成しようとする。

そして、「達成すること」があなた方の神になる

やがてあなた方は、「課題が達成されたかどうかは、どうやって決定すればいいのか?」

という疑問を持ち始めた。

明らかに、この幻想には欠陥があった。だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第5の幻想の欠陥を繕うために、『裁き』という第6の幻想が生まれた。

「裁き」という、第6の幻想

あなた方は、

「何かを手に入れるためには、課題を果たさなければならない」と考えた。

(課題という第5の幻想)

そして、「課題を果たしたかどうかは、何によって決まるのか? 果たせなかった者は

どうなるのか?」という難問にぶつかった。

この問いに答えようとして、あなた方は『裁き』という幻想を発明した。

あなた方は、「課題を決めたのは神だから、課題を果たしたかを判断するのも神だろう」と考えた。

あなた方は長い間、「神を喜ばせる事が出来なければ、それなりの報いを受けるはずだ」と考えてきた。

そんな結論を出すのも、無理はなかった。

周りを見れば、上手く行っている人生もあり、

上手く行っていない人生もある様に見えるからだ。

本当は、失敗は存在せず、上手く行かない人生などない。

すべてはプロセスであり、失敗とはそのように見えるだけです。

視点を変えれば、失敗ではなくプロセスだと分かります。

あなた方は、「神々ですら競い合っている」と考えた。

そして災害や不運に見舞われるたびに、「神々の誰かが満足していない」「神々が争い合っている」と考えた。

「神をなだめないと、仕返しをされる」という考え方は、今もあなた方の神学を支配し続けている。ごく最近でも、例えばエイズが広がった時に、「これは神罰だ」と言う人が大勢いた。

大勢の人が、

「神が定めた課題があり、それを果たさなければ地上でも天国でも報酬を得られない」

と信じている。

そして、「裁きのシステムがあり、誰が課題を果たしていないかが決定される」と思っている。

一方で、「何をしても課題を果たせはしない」と言い切る神学もある。

そういう神学は、「人は不完全な存在として生まれ、生まれる前から魂は汚れている」と言う。あなた方が生み出した「何もかも正しくなければならない」という考え方は、独善そのものだ。

あなた方は、お互いに『汚れ』を付け合った

性や肌の色、宗教が違う者は、「正しくない」と言い合った

そうやって、『神を演じた』のだ。

あなた方は、「神が人を不完全だと決めたのは、最初の人間が悪事を犯したからだ」と教える

『裁き』という幻想を正当化するために、

「必要性・失敗・分裂」の最初の三つの幻想が使われる。

アダムとイヴの物語などの『文化的な物語』は、どれも課題と裁きの幻想が根拠になっている。

あなた方は、「神は人を不完全なものだと定めた」と考えているから、

「他人を不完全だと決め付けても構わない」と思っている。

それなのに、「神は人に、完璧になることを期待している」と考えて、人に完璧さを期待する

あなた方は、『裁きという幻想』を現実だと思い、すぐに裁きを下そうとする。

特に「指導者は完璧なはずだ」と考えて、ちょっとでも不完全さを見せると糾弾する。

このため現代では、指導者が生まれるのは、ほぼ不可能になった。

あなた方は社会に必要なものを、自ら奪ってしまった。

誰かが課題を果たせないからといって、それがどうしたというのだろう。

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第6の幻想の欠陥を繕うために、『罪の宣告』という第7の幻想が生まれた。

「罪の宣告」という、第7の幻想

あなた方は、「課題を果たさなかった者は、裁きを下される」と考えた。

(課題と裁きの幻想)

そして、「課題を果たさなかった罰は、死に違いない」と考えた。

だが考えを進めた人は、

「誰もが死ぬのに、なぜ死が罰なのか。課題を果たした者だって死ぬのに!」

と考えた。

ここであなた方は、

「身体の死は、終わりではないのだ。死後に罰が与えられるのだ。」

と考えた。

そして、死後の罰を『罪の宣告』と呼んだ

これが、『罪の宣告』という幻想である。

こうして、死後の裁きにより、課題を果たしていた者は『永遠の生命という報酬』が与えられ、課題を果たせなかった者は『罪の宣告という罰』が与えられる事になった。

そして、『罪の宣告』を語る物語や神話が創られて、幻想を確かなものにしていった。

神話が物語を支え、物語が神話を支える。 これが、あなた方の理解の柱だ。

そして、それはすべて偽りである。

罪の宣告という行いは、愛のある行いではない

あなた方は、「神は愛である」との認識では共通している。

神が愛であるならば、どうして罪の宣告などをするのか?

どうして神は、永遠の苦しみを与えるのか?

あなた方は、こんな問いかけを始めた。

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」

と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第7の幻想の欠陥を繕うために、『条件』という第8の幻想が生まれた。

「条件」という、第8の幻想

罪の宣告という行いは、愛のある行いではない。

あなた方は、「神は愛である」との認識では共通している。

神が愛であるならば、どうして罪の宣告などをするのか?

どうして神は、永遠の苦しみを与えるのか?

あなた方は、こんな問いかけを始めた。

この問いに対し、あなた方は、

「愛について、まだ理解していない事があるに違いない」

との解答を出した。

そして、「人生や愛は、条件付きだ」という幻想を思いついた。

これが、『条件が存在する』という幻想である。

「人生の結果は疑わしい。失敗が存在する。」との第2の幻想が、

「神の愛には条件がある」という幻想を支える事になった。

あなた方の人生には、条件付きの愛という体験があふれている。

あなた方は生命についても、「ある条件のもとで現れるプロセスだ」と考えた。

だが、宇宙(生命エネルギーで溢れる世界)には、生存するのに条件は無い

「ある条件では、生命は存在しない」という事はあり得ない。

『存在するすべて(神の総体・生命エネルギー)』が存在しなくなる事は、不可能だ。

「生命=神=愛」は永遠であり、ただ存在する。

愛(=神=生命)が存在しない事は不可能であり、

「条件付きの愛」というのは、言葉自体が矛盾している。

条件と愛は、両立しない。

「条件と愛は両立できる」との考え方が、あなた方を破壊している

あなた方の文明は、「条件が存在する」という幻想によって、滅亡の危機に瀕している。

それがあなた方の選択なのか? 

それが意識的にした決断なのか?

この問いについて、慎重に考えることだ。

あなた方の宗教は、「神の王国には条件が存在する」と教えている。

だから多くの人が、「その条件とは何なのだろう?」と考えて、一生を過ごしている。

だが、考えても袋小路に迷い込むばかりだ。

なぜなら、『条件は存在しない』のだから

あなた方は創造者であり、

望むものを手に入れられる。

ただ、それを選べばいい

これが、あなた方には信じられない。

そのために、「そんな簡単なはずはない。課題を果たさなければ!」と考えた。

そして、神のもとへ戻る方法をでっち上げた

赦しとか救済という考え方を生み出した。

それが、宗教と呼ぶものを通じて説明されている事だ。

宗教によって赦しや救済の方法が違う事実を、

冷静に見つめれば、でっち上げだと分かるはずだ。

だが今でも、大抵の人にはそれが出来ない。

あなた方は、何百という宗教があり何千もの条件があっても、

「神のメッセージは色々なのだ」とは思わず、

「自分だけが正しい条件を分かっているのだ」と言う

そして、他の宗教を滅ぼそうとしてきた

明らかに、この幻想には欠陥があった。だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第8の幻想の欠陥を繕うために、『優越』という第9の幻想が生まれた。

「優越」という、第9の幻想

あなた方は、「人生や愛には、条件が存在する」と考えた。

(条件という第8の幻想)

そこから、「条件を知っている者は、知らない者よりも上手くいくはずだ」と考え、さらに「上手くいく者は、優れているのだ」と考えた。

こうして『優越』という第9の幻想が生まれた。

優越によって、様々なことを問答無用で出来るようになった。

「他者を無視すること」 

「他者を回心させようとすること」 

「他者を滅ぼすこと」

これらを正当化できるようになった。

条件と優越の二つの幻想によって、

「必要なものを持っていれば、自分が望む通りになる」

との世界観ができ上がった。

そして、金・学歴・力・時間・信仰などを「持つこと」が、重視されるようになった。

「優れた者は、必要なことを何でも出来るようになる。

 それによって、他の人よりも良い人生を送れる」

あなた方は自分にそう言い聞かせる。

あなた方は、

「すべては不足している」

という第4の幻想を信じているので、すべてについて

「競って手に入れなければならない」と信じている。

そして、「優れた者が勝つのだ」と考える。

自分の勝利を保証したいと考えた人間は、様々な条件を考え出した

そうやって、「自分が勝者である」と事前に宣言しようとした。

あなた方は、

「男性は女性よりも優れている」

「白人が最も優れている」

「キリスト教徒が最も優れている」

などと宣言をした。

本当は、他よりも優れている者などいない。 これが真実だ。

この真実は、あなた方を自由にする。

『優越』は存在しない。あなた方がでっち上げたのだ。

あなた方は、自分の都合・欲望・理解を元にして、何が優れているを決めた。

しかも、それが神の意志だと主張する者までいた。

「誰が選ばれた民なのか、どれが真の信仰なのか、どれが救済の道なのか」

を決めたのは、神だと主張した。

あなた方は、「大自然よりも自分たちの方が優れている」と考えて、

大自然を支配しようとし、環境破壊をしている。

あなた方は、「自分の方が優れている」と考えて、お互いを支配しようとする

私たちは一体だから、優越などあり得ない。

私たちは一つである』というのは、宇宙を正確に説明した言葉だ。

これが分かれば、高いレベルでの生命の繋がりが分かってくる。

生命の繋がりが分かれば、幻想を見抜くことが出来る。

そして、あなたは『真の自分』を思い出す

思い出すためには、「優れている」という考え方をやめることだ。

優越という幻想は魅惑的な考え方で、

心を石に変えるし、イエスをノーに変えてしまう。

人は「自分たちの方が優れている」と考えた途端に、最も低劣なふるまいを始める。

明らかに、この幻想には欠陥があった。

だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。

幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第9の幻想の欠陥を繕うために、『無知』という第10の幻想が生まれた。

「無知」という、第10の幻想

幻想が積み重なっていくと、人生は分かりにくくなった。

まもなく、哲学者も教師も音をあげた。

「分からない。分かる事が可能かどうかも、分からない。」

と、彼らは言った。

こうして、『無知』という第10の幻想が生まれた。

この考えは便利だったから、たちまちに拡がって、究極の解答になった。

「私たちには、真実は分からないのだ」と。

これで宗教も政府も、誰にも答えなくて済むようになった

それどころか、宗教や政府は

「宇宙には秘密があり、神はそれを私達が知ることは望まない」

と宣言をし、「その秘密を探ることは冒とくだ」と言った。

その結果、ある質問をするだけで首をはねられる時代も生まれた。

「探ってはならぬ」という命令により、『無知は好ましい』という事になった。

質問をしない方が、賢くて礼儀正しいことになった。

今でも、反対意見が残虐な方法で消されている国がある。

このような野蛮なふるまいは、「秩序を維持するためだ」との理由で正当化される。

だが、言っておこう。 

愛の本質は『自由』である。

あなたを愛する人は誰でも、あなたの自由を認めるだろう。

人間の体験の核心には、二つのエネルギーしかない。

「愛」と「不安」の二つだ。

愛は自由を認め不安は自由を奪う

愛は充分な表現を促し、不安は表現を罰する

これを物差しにすれば、誰があなたを愛しているのか、誰があなたに不安を抱いて恐れているのか、が分かる。

相手の言葉ではなく、行為を見ることだ。

愛は常に、「あなたの真実を生きなさい」と促す。

愛は常に、「無知の束縛を断ち切りなさい」と促す。

あなた方は、

「神を知ることは出来ない」

「神について問うのは無礼だ」

と言われてきた。

それは、全く真実ではない。

10種類の幻想のまとめ 真実とはこうである

あなた方は、

「神は何かを求めているから、それを差し出さなければ神と一体にはなれない」

と聞かされてきた。

(必要性という幻想)

それは、全く真実ではない。

あなた方は、

「神とあなたは切り離された。人と人とは切り離されてバラバラだ。」

と聞かされてきた。

(失敗と分裂の幻想)

     それは、全く真実ではない。

あなた方は、

「すべては充分には無い。だから、それを競って奪い合わなければならない」

と聞かされてきた。

(不足と課題の幻想)

それは、全く真実ではない。

あなた方は、

「神が求めるようにしなければ、罰を受ける。罪を宣告されて永遠に苦しむ。」

と聞かされてきた。

(裁きと罪の宣告の幻想)

それは、全く真実ではない。

あなた方は、

「愛は条件付きだ。勝つための条件を知っていれば、人よりも優越できる。」

と聞かされてきた。

(条件と優越の幻想)

それは、全く真実ではない。

あなた方は、

「神を知ることは出来ない。あなたには、真理は理解できない。」

と聞かされてきた。

(無知という幻想)

それは、全く真実ではない。

真実とは、こうである。

  1. 神は何も必要とはしない
  2. 神に失敗はあり得ないし、あなた方も同じだ
  3. 離ればなれのものは何もない
  4. すべては充分にある
  5. しなければならない事は何もない
  6. 神の裁きはない
  7. 罪の宣告もない
  8. 愛に条件はない
  9. すべては一つであり、自らに優越する事はあり得ない
  10. これらのすべてを、あなたはすでに知っている