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「いのち」を考えたこととか。【BASHAR】【BUDDHA】

昨日、親と話していて3分くらいで説明したことを、
言いたいこと全部言うとこんなかんじ。かな。
というのを徒然なるままに、指が打ち込むままにメモ。

けっきょくは
「・・・だからガンくらいでびびんなよ」
という自分なりの励ましなんだとおもう(笑)

死んだからって、死にやしないんだ。
楽しくいこう。

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生命を尊重するとは、
地上での長生きを尊重することではない。

その魂が「その魂らしく在ること」を尊いものとして重んずること。

その魂が「これがやってみたい!」というなら尊重する。

その魂が地上で体験したいことをやることを尊重する。

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仏性を拝むとは

仏性を拝むとは

「その魂らしく在ること」を尊いものとして重んずること。
そのままを尊重し、その魂が震えることを思いっきりやれるよう手助けする。
そのままですでに完全で愛すべき存在であるとみること。(平等相)(仏知見)
その魂が「固定観念」という性格をわざとまとっていること。(差別相)

前提にしていること=固定観念

なので、やりたいようにやらせる、というだけではない。

「それは本当にやりたいことなのかな?」
「本当は寂しかっただけじゃないの?」など
という気づきをサポートすることも含まれる。
感情・行動の出どころ(観念信念)に来づけるようにサポートしていく。

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すべての行動に成功も失敗もない。

その体験だけがある。

その体験をどうとらえたのか?(狭い意味での幸不幸、快不快)

そこに自分の「観念」「前提」がある。

それが「相性体」「因縁」である。

それぞれの学びがそこにある。

体験して、自分の観念に気づけば卒業、次のチャレンジへ。(苦が消滅)

体験して、そのまま現象自体に囚われれば同じことを再チャレンジ。(輪廻)

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魂は永遠だけど、今回のこの生命は一度きり。

そういう意味で、人生は一度きり。

いまの名前で

いまの性格で

いまの家族で

いまの環境で

そういう「役」で生きるという劇に出演することは一度きり。

だから貴重。

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「思い」通りに生きる。

その「思い」とは何かを探っていく。

その「思い」が間違った固定観念から出た思いなら、
神仏(宇宙)のサポートは得られない。
(サポートを得られないのは、サポートを受け取らないという選択をしたから)

どういう「思い」が正解なのか。

個人個人でみなちがう。

その「思い」の「出どころ」によってうまくいくかどうか決まる。

見分け方はシンプルだ。

心躍るところからきた「思い」なのか
(ポジティブ、統合エネルギー)

恐れるところからきた「思い』なのか
(ネガティブ、分離エネルギー)

・これをしないと生活できない(ネガティブ)

・これをしてたら楽しい(ポジティブ)

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つっても「現実的」には食ってかなきゃいけないじゃん?

(という観念から脱するのはかなり難しい)

どうするか。

瞬間瞬間、一瞬一瞬、毎秒毎秒、楽しいことを選択する。

やっていることを、楽しむ工夫をする。

家事をゲームにする。(10分で終わらせるゾ☆とか)

仕事に自分の得意なことを盛り込む。(資料に絵を描いて付け加えるとか)

帰り道を変えてみる

食べる店を変えてみる

食べる順番をかえてみる

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ロジック、理論には限界がある。

理論で組み立てても、本当の心の声は聞こえない。
理論で組み立てても、全く新しい未来は見えない。

そこで信仰ですよ。

信仰とは、

偉大ななにかを信じること。

偉大ななにから受信すること。

論理は

身体保護からくる意識が強い。(フィジカルマインド)

過去分析、現状分析しかできない。それを超えられない。

三次元現実をほんものだと信じている「観念、前提」から逃れられない。

高次の存在を信じ、それとのつながりを信じること、
瞑想、祈りによってインスピレーションを得る(ハイヤーマインド)

さまざまなサポートを(素直に)受け取る。

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この身体生命が本体だという幻想

この身体生命が本体だという前提を持っていると、
この身体が死ぬことが恐ろしい。

「自分の分を獲得しなければ死亡」という世界へ

この身体生命は仮の姿で魂は完全永遠という前提を持っていると

「与えるものが受け取るもの」という世界へ

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苦しんでいる人は「かわいそうな人」ではない。

苦しんでいる人はかわいそうな人は「学んでいる人」だ。

その苦を自分で選択しデザインしてきている。

勇気のある魂だ。

かわいそうじゃない。かっこいい。

かわいそうとは下に見ること。

上下、善悪、幸不幸のジャッジを勝手にしている。

その体験から固定観念を見つけられていないなら、

おしい。

ざんねん。

もったいない。

せっかくの苦の体験(気づきの機会)を経験したのにもったいない。

でも、もっとどん底まで観てみたい魂なのかもしれない。

すごいね。

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異体同心(ワンネス)

我々はいつかひとつになる。

(いや、ひとつであると気づく)

我々はひとつ。

いったん散り散りに別れて、いろんな経験をしてみることにしたもの。

また集まって、経験をシェアしあうだろう。

だからこそ、他人の成功体験は喜べる

だからこそ、他人の失敗体験は悲しめる

有頂天でも絶望でもなく、体験を味わえる。(寂静)

**

すべては自分の選択。

自由意志を保証されている。

すべての現象は自分で選んだもの。

宇宙は自分の思うがままなのだ。(天上天下唯我独尊)

自分がその苦の体験を選んでいるのだ。

他を選択肢たら一瞬でなくなる。らしい。

それが自灯明。

**

インスピレーションはダウンロードする。

自分のアタマで考えるだけでは、
いいアイデアはでてこない。
(ロジック)(フィジカルマインド)

さまざまな固定観念を付けてきたから。(妄想)

信仰、瞑想、リラックスして、
宇宙の叡智を呼び込むのだ。
(サンゲ)(ハイヤーマインド)

それが法灯明。

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【ケーススタディ】
親がガンになったときは、自分に湧き出る感情から観念を探る機会にしてみる。

ちょっと難しいけど試しに書き出してみる。

たとえば、

・こわい

→肉体が本体だと信じている。

→過去世の死の経験を混同しがち

※まあこわいよね。しょうがない。

・さびしい

→肉体の死が永遠の別れだとどこかで信じている

→魂が永遠だとは信じていない

→異体同心でない

・かなしい

→死が「かわいそうなこと」だと信じている

※肉体の死がかわいそうなことなら、産まれることもかわいそうなことだです。

・くやしい

何か言い残すことがある、うらみつらみがある

→その親も自分で選んだこと、自分の人生を自分でデザインしたと気づけていない

→偶然その親のもとに産まれてきたと思いこんでいる

・不安

→親離れしてない
→手続きなどがよくわからない

自分の信じている「現実」を前提にしていると「ネガティブ」な感情が起こる。

仏知見、仏の目でみた「実相」とのズレを確認していく。

独り言はつづく・・・

最後まで付き合っていただき
ありがとうございました。
m(_ _)m