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【仏教】もしも、お釈迦様がお見舞いに来たら?

もしも、お釈迦様がお見舞いに来たらなんてわれるの?

そんな興味深い逸話(お経)があるそうで。

「病人にどのような言葉をかけて、励ましたら良いのでしょうか?」

A「サティとサンパジャーナで時間を過ごすべきです」

私達の頭というのは単純にできていて、いつでもひとつの誤解、幻覚を前提にして、考えているのです。それは「私がいる」という幻覚です。この幻覚がなければ、私たちは何も考えることができなくなるのです。

サティ 「気づき」
サンパジャーナ 「理解すること」

いま現在の自分のことを気づくこと(正念)

今の自分というものは何かを理解しておく(正知)

脳が勝手に解釈を付け加えるので「正知」にならない。(誤知)

今の瞬間に何が起きているのかとただ確認すること。

鳥のさえずり(x)

音(◯)

痛い(x)

痛み(◯)

美味しい(x)

味(◯)

随感する サティの実践

「すべてのものごとは一回きりで変わってしまう」

随感とは「瞬間的に起こる変化を追って観察する」こと

「華厳の滝はきれいですよ」

・これは固定概念の「華厳の滝」であって、固定した「華厳の滝」などない。

今の瞬間に見た滝は、次の瞬間にはもういない。

二度と同じ滝を見ることは不可能です。

もう別の滝なのです。

アヌパッサティ(随感)して、「それを追っていきなさい」「変化と一緒にいきなさい」それが「現在にいる」ということです。

いまの滝が消えて、別の滝が現れる。前の滝がなくなって、いまは別のたきがあるのだと。

一歳の言語、概念をなくして、「いま」を観察する。

そうすると何を観察しても

「すべての現象は二度と元には戻らず、絶えず消え去っていく」

という事実、真理をはっけんすることができる。

サティの実践は四種類

  1. 身体(身)を観察する
  2. 感覚(受)を観察する
  3. こころ(心)を観察する
  4. すべての現象(法)を無常であると観察する

身随感

「身において身を観つづける」

身体の動きを観察します。

手を上げる。

ゆっくり手を上げながら、その時現れる「感覚の変化」を確認する。

一つ一つの動作が一回きりのものであると発見できる。

※マインドフルネスの「ラベリング」と同じかな

全く同じ動作は二度と起こりません。

ローソクの炎のように、ずーっと流れて変わっていく。

必死でおっていかなければならない。

現在さえろくに知ることができない状態なのです。

変化があまりにも速すぎるので、それを追ってみようとすると、頭からきれいに妄想がなくなってしまうのです。

このアプリで身随感ができます!

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現れては消えて、現れては消えてゆく流れ

その止まらないで変化しつづける状態を「無常」として観察する。

「現象が、苦であり無常である」と発見した人は、

「現象が、実体もない、価値もない、現象にすぎないものである」

と発見します。それは「無我の発見」なのです。

まとめ

主観で「解釈」「判断」という妄想をとめて

いまの瞬間に何が起きているのかと

確認することに集中する

=Oh! It’s a 「マインドフルネス」!

短いので続きは読んでみてちょ

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